オメガについて
このページでは、『OMEGA(オメガ)』の基本情報、主なコレクション、ブランドメモおよび参考ページを紹介しています。
オメガの基本情報
創業年 | 1848年 |
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創業者 | ルイ・ブラン |
創業地 | スイス ラ・ショー・ド・フォン |
現在地 | スイス ビエンヌ |
公式サイト | http://www.omegawatches.com/ |
オメガのブランドメモ(歴史、エピソード、評価など)
日本国内で人気がある二大ブランドのひとつ(もうひとつは「ロレックス」)。
最近、結納返しとして腕時計を選ぶことも増えているという中、オメガの「スピードマスター」が人気という。
「スピードマスター」はオメガのロングセラー腕時計。また、腕時計マニアにとって登竜門ともいうべきモデルとして知られている。
1848年、ルイ・ブラン(当時23歳)がラ・ショー・ド・フォン(スイス時計製造のメッカ)に時計工房を開設。当初から組み立て工場を立ち上げ、新参工房としては大きな規模の生産設備を持っていたという。
1877年、息子ルイ=ポールとともにルイ・ブラン&フィス社を設立。
1879年、ルイ・ブラン死去
1880年、ルイ=ポールとセザールのブラン兄弟が、工場をビエンヌに移転し生産拡大。
1894年、革新的なキャリバー「オメガ19」を開発。この年からオメガの名称を使用し始める。1889年にはスイス最大の時計メーカーとなる。
1900年、オメガ初の腕時計を発表する。
1900年代初頭に、「究極の時計」という自負から、ギリシア語の最終文字「Ω=オメガ」へと変更する。
1932年、ロサンゼルス・オリンピックの公式時計に採用され、名実ともにその名を世界に広める。以降、1992年のアルベールビルまで21回にもわたって計時の重責を担った。「シーマスター」の前身「マリーン」発表。
1942年、初の自動巻き時計を発表。
1946年、スターターピストルと連動した写真判定システムの開発。
1947年、2種類のコンプリケーションウォッチを製作。ひとつは月、日、曜日表示機能を持ったムーンフェイズ「コスミック」。もうひとつはオメガ初のトゥールビヨン。
1948年(100周年)、「シーマスター」発売。「シーマスター」の一部は後に「シーマスター デ・ビル」となり、さらに重要モデル「デ・ビル」に枝分かれする。
1952年、「コンステレーション」発売。十二角形のエッジをつけたダイヤルを持つドレッシィな外見の反面、30メートルの防水性能を備えた自動巻きクロノメーター。クォーツ制御によるタイムレコーダーを発表。ヘルシンキ五輪組織委員会からオリンピック・クロス・オブ・メリット賞を受賞。
1957年、「スピードマスター」登場。手巻きムーヴメントを搭載したクロノグラフ。
1965年、NASA、「スピードマスター」を公式クロノグラフに決定(「宇宙時計」の誕生)。ジェミニ4号の乗組員エドワード・ホワイト飛行士が装着し、21分間の宇宙遊泳を行なう。
1967年、「デ・ビル」シリーズの誕生。
1969年、「スピードマスター」、アポロ11号とともに月面へ(人類初の月面到着)。
1970年、「シーマスター600」登場。深海探査のヤヌス計画で「シーマスター」が耐水圧記録樹立。「スピードマスター」がアポロ13号の地球帰還に貢献。生還後、オメガはNASAからスヌーピー・アワードを受賞。
1974年、「メガクォーツ2400」が腕時計で初のマリンクロノメーター認定。
1975年、アポロ・ソユーズ合同のスペースランデブー計画で、アメリカ・ソ連の宇宙飛行士がそろって「スピードマスター」を使用。
1978年、スペースシャトル計画の公式腕時計に「スピードマスター」が選定される。
1981年、ジャック・マイヨールが「シーマスター」を腕に、無酸素ダイブで水深101メートルの世界記録樹立。
1988年、オメガ、フランスの海底探査計画ファレ・ミッション(探査艇ノーチラス号の水深4400メートルでの活動)に参加。「シーマスター」がノーチラス号に装備される。「シーマスター・プロフェッショナル200」発表。
1989年、ソ連、「スピードマスター」を宇宙飛行士用の公式時計に採用。
1992年、「ルイ・ブラン・コレクション」発売。
1993年、ヘリウム排出バルブを備えた300メートル防水のクロノグラフ・クロノメーター「シーマスター・プロフェッショナル・ダイバークロノグラフ300」発売。ローラン・スペッケールが「シーマスター」を腕に、湖水での水深80メートルの無酸素ダイブの記録樹立(~1994)。ホイットブレッド世界一周レースの公式時計となる。
1994年、「デ・ビル プレステージ」発表。レトロスペクティブに思える外見に、高精度の機械式ムーヴメント。また「セントラル・トゥールビヨン」も発表。
1999年、コーアクシャル脱進機(ジョージ・ダニエルズが1970年代に開発したが、どのメーカーも実用化に踏み切れずにいた幻の技術)を採用。