ブレゲについて
このページでは、『Breguet(ブレゲ)』の基本情報、主なコレクション、ブランドメモおよび参考ページを紹介しています。
ブレゲの基本情報
創業年 | 1775年 |
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創業者 | アブラアン・ルイ・ブレゲ |
創業地 | フランス パリ |
現在地 | スイス ラベイー |
公式サイト | http://www.breguet.com/ |
ブレゲのブランドメモ(歴史、エピソード、評価など)
「時計の進化を200年早めた男」「時計界の巨匠」など、長い時計の歴史の中で最高の賛辞をもって讃えられる天才時計師アブラアン=ルイ・ブレゲの伝統を受け継ぐメーカー。いわば腕時計の超名門ブランド。
ブレゲは、時計に関する技術の4分の3を完成させた偉人として歴史に名を残している。例えば「ブレゲヒゲゼンマイ」や「トゥールビヨン」、「ブレゲ数字」に「ブレゲ針」、「ギョーシェ彫り」、ケースや文字盤の製造工程など現代の時計に採用される機構そしてデザインも、すべてブレゲなくしてはありえないといわれるほど。
アブラアン=ルイ・ブレゲの顧客には、フランス国王ルイ16世やその妃マリー・アントワネット、フランス皇帝ナポレオン、ロシア皇帝アレクサンドル1世などがいた。アブラアン=ルイ・ブレゲ以後の顧客にも、ロシアの文豪トルストイ、イギリスのウインザー公など、そうそうたる名前が挙げられる。
15歳のとき(1762年?)、ベルサイユで時計職人としてキャリアをスタート。
1775年、パリ・シテ島に工房を開き、ブレゲ・ブランドを創業。最初に手がけたのは自動巻き機構の開発だった。
1780年、第1号が完成し、33歳にしてフランスでもっとも知られる時計職人となる。その後もゴングスプリング方式のミニッツリピーター、衝撃吸収装置、螺旋状のゼンマイの端を持ち上げ精度を高めたブレゲひげゼンマイ、トゥールビヨン機構、スプリットセコンド・クロノグラフなど画期的な機構を発明。
その技術の集大成として知られるのが、マリー・アントワネット王妃の注文で生まれた超複雑懐中時計「マリー・アントワネット」。「ブレゲ No.160」ともいわれるこの時計は、永久カレンダー、ミニッツリピーター、ゼンマイの巻量を示す巻印装置、金属寒暖計といった機構を組み込み、その複雑なムーブメントをスケルトンのダイヤルで見せるという、複雑にして美しい時計。しかし1793年、完成前に王妃は断頭台の露と消え、時計を見ることはなかった。また、アンブラン=ルイ・ブレゲ自身も完成を見ることなく、1823年に没。実際の完成はブレゲの息子の時代、1827年のこと。
「マリー・アントワネット」の最初の購入者は不明だが、1950年には再びブレゲ社が所有。その後2人の持ち主を経て、有名なコレクター、デヴィッド・サロモンズ卿(一時は100点を超える初期のブレゲ時計を収集していた、並はずれたコレクター。『ブレゲ時計を所有することは、ポケットの中に天才の頭脳を忍ばせているようなものだ』という言葉を残した)の手に渡る。その卿の死後、「マリー・アントワネット」はエルサレムのL・A・メイヤー記念イスラム美術館に寄贈された。しかし1983年4月16日、美術館から盗み出され、現在もその行方はわかっていない。
1815年、フランス海軍御用達時計師として、名実ともに最高の栄誉を手に入れる。
1823年、アブラアン=ルイ・ブレゲ死去。以後、弟子たちがその技術を継承。
1870年、経営がブレゲ家からブラウン家に移譲。
1930年代には、デジタル表示のジャンピングアワーやトノー型ケースを発案。
1970年、フランスのパリ、ヴァンドーム広場の有名宝飾店ショーメがブラウン家からブレゲ時計の権利を譲り受け、時計職人ダニエル・ロートなどを招聘し、ブレゲの復興を図る。
1999年、スウォッチ・グループ傘下となり、経営基盤もより安定する。
2005年、18世紀の懐中時計をモチーフにした新作を発表。